医師や筋ジスのことを知っている親族から、
「どうして言わないの?」
「その内わかるんだから隠したって意味ないよ」
「早く会社に言えばいいのに」
と、会うたびに言われる。

もちろん妻からも。


もし私がこんな状態で、私の様に苦悩しながら周囲に話していない人を見つければ、間違いなく同じことを言うのだろう。

筋ジスを患っていて、身体の一部が動かせない
病状が進行していて、将来的には動けなくなる可能性がある

話すことが遅くなればなるほど、周りに迷惑をかけることになる。
特に会社には。

周りに話せばどれだけ気が楽になるか。

本当は話さなければならないことを頭の中では理解している。

今年こそ話す、来年こそ話す・・と誓うが、
現時点では行動に移していない。

どうして話さないのか、話すことができないのか、自分の中で何度も何度も自問している。

まだ動けるのだから今言う必要はないなどの単純な理由もあるが、いつもたどり着く答えは、

”恥ずかしいから話したくない”だ。

本当に愚かだ。

家族を守りたい、自分の責任を果たしたいなどと聞こえの良い当たり前なことを言っているが、結局のところ、自分を守りたい、傷つけないようにしているだけなのだ。

私は普通に幼少期、青年期を過ごしてきた。

運動も大好きだった。
結婚して子供も授かり、マイホームも購入した。

とても幸せだ。

だが、働き盛りの時に筋ジスの壁にぶち当たった。

病気の所為でみんなと同じことができなくなってしまった。

全くできないということではない。
中途半端にしかできなくなったのだ。
全くできなければ覚悟を決めやすいが、中途半端にできてしまうから質が悪い。

”普通と違う”

今まで普通だった分、尚更普通でないことを受け入れられず、ここに自分の尊厳を見出すことができない。

自分のちっぽけな尊厳を守りたいだけなのだ。
障害者になりつつある現実から目を逸らしているのだ。
障害者になりつつある自分に同情の目を向けられたくないのだ。

本当に馬鹿で愚かで弱虫なくせに、虚栄だけはいっちょ前。

もっと重病で苦しんでいる方々からすれば、笑われてしまうちっぽけことだろう。

筋ジスと普通の狭間でもがきながら苦悩し、その先に何を見つけようとしているのだろうか?

全然見通せないが、こんな身体でどこまで歩めるのか、
「普通を装い続けることができるんじゃないか」と・・・漠然と足掻いているだけだ。

それでも、病気の進行は待ってくれない。

ああ・・・もう疲れたよ

ああ・・来年こそ話そう