周囲に病気を告白できず、卑屈な考えばかりで人生を悲観していたが、ブログを始めて早1年、
その考え方は大きく変化した。
今に至っては、障がい者として振舞うことに恥じらいを感じるのは事実だが、比較的堂々と前を見て生きている。
その考え方は大きく変化した。
今に至っては、障がい者として振舞うことに恥じらいを感じるのは事実だが、比較的堂々と前を見て生きている。
自分にとって、筋ジスと向き合う大きな第一歩は、会社に病気のことを告白したことだ。
言ってしまえばあとは流れに任せるだけだった。
その流れに乗って友人知人にも筋ジスのことを告白していった。
結果、どうなったか。
私は「生きやすくなった」と実感している。
健常者をよそおう必要がなくなったのだ。
今も恥ずかしさはあるものの、身体に障害があるにもかかわらず、無理して人目を気にする必要がなくなった。
私は、健常者を諦めたのだ。
この諦めは、今の私にとって正しいことだと考えている。
何か肩の荷が下りた感じがした。
筋ジスで障害を抱えているからといって、私から離れていった者は、今のところ誰もいない。
いや、むしろ増えている。そしてみんなサポートしてくれる。
自分のことはなるべく自分でやる。
無理しない範囲で動き、病気の進行を遅らせる。
そのためなら、杖だって車椅子だって使ってやる。
障がい者に甘んじることなく、自分を律しながら生きていきたい。
言ってしまえばあとは流れに任せるだけだった。
その流れに乗って友人知人にも筋ジスのことを告白していった。
結果、どうなったか。
私は「生きやすくなった」と実感している。
健常者をよそおう必要がなくなったのだ。
今も恥ずかしさはあるものの、身体に障害があるにもかかわらず、無理して人目を気にする必要がなくなった。
私は、健常者を諦めたのだ。
この諦めは、今の私にとって正しいことだと考えている。
何か肩の荷が下りた感じがした。
筋ジスで障害を抱えているからといって、私から離れていった者は、今のところ誰もいない。
いや、むしろ増えている。そしてみんなサポートしてくれる。
自分のことはなるべく自分でやる。
無理しない範囲で動き、病気の進行を遅らせる。
そのためなら、杖だって車椅子だって使ってやる。
障がい者に甘んじることなく、自分を律しながら生きていきたい。
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